東北被災地ボランティア (6)
2011/06/16
現地からの活動報告第五弾は、6月4日から現地入りをしたチーム#5です。このチームはチーム#4をさらに上回る17名が参加しました。レポートは#14多川選手、#99南家選手、オペレーションズの大西さんです。
(チーム#6に続く...)
| 活動日時 | : | 6月4日~6月7日 | ||||||||
| メンバー | : |
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| 作業場所 | : | 石巻市 | ||||||||
| 作業内容 | : |
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| コメント | : |
テレビで見る映像と実際行ってみて見る現状はまったく違っている。現地はもっと厳しい。 アメフト部とラグビー部のメンバー14人で一日中一生懸命作業を頑張っても、 たった100m程度の側溝に溜まっているヘドロを綺麗にすることしかできない。 ヘドロが詰まった土嚢を回収している時の、トラックから見る石巻の光景は悲惨だった。 ほとんどが半壊になった家屋の中で掃除をされている被災者の方だ。被災者の方は毎日それを繰り返している。 声を出して土嚢を集めていると、住民の方が寄ってこられて声を掛けてくれる。子供さんと一緒にこられたお父さんもいれば、お礼を言ってくださる年配の女性、土嚢の回収をリクエストされる女性など様々だ。 声をかけないといけないのは我々の方だと思っているが、常に先に感謝の声をかけてくれる。 町を走っていると人影を見ないが、声のする所に寄ってこられる。。。この町には活気のある声がないんだと気づいた。 電気もない、テレビも見ることができず娯楽は何一つないのだ。ひたすら毎日瓦礫の処理をされているのだ。 最終日に、前日綺麗にした側溝の土嚢を回収していると、母親くらいの女性が車から降りてきて、何度も何度も頭を下げてこちらに向かってお礼をしていた。 今にも泣きそうな顔をされていたがすごく嬉しいのだとわかった。 その女性は、避難所から家に戻ってきてみたら側溝が綺麗になっていたので驚いた様子だった。 私はこんなに喜ばれる事をしたことがないので戸惑った。ただただ元気に「頑張ります!!」としか言えなかった。 普通の事をしただけなのに笑顔が絶えない、昔の石巻に早く戻ってもらいたい。本当にそう願う。 幸いにも自分は何不自由なくIBMのアメフト部で活動している。 チームのミッションはアメリカンフットボールを通じて皆さんを元気100倍にすることである。 えげつないplayをして見ている人に興奮してもらい、一緒に勝利を味わって喜んでもらう。こんなことで被災地の皆さんにも少なからず元気になってもらえるのであれば頑張れる。 理解のある会社に勤めていることに感謝をし、もっともっと会社としてできることを呼びかけ、個人としても出来ることを全力で取り組んで行きたい。 (#99南家正弘) 石巻についたその日にラグビー部主催のラグビースクールの場にアメフト部も参加させてもらった。そこには小学校低学年から高校生までの子ども達が集まっていた。 その中で小学生から中学生までの子ども達と交流をした。 ラグビーを教えてもらいに来た中、アメフトに興味を持ってくれるか心配だったが、 いざ始めてみると、そんな心配は必要なかった。 アメフトの一部分を体験するということで、フラッグ取り鬼ごっこ、キャッチボール、簡単なルートを走ってからのパスキャッチを体験してもらった。 アメフト体験の時間が終わり、次はラグビーの練習です。とアナウンスをすると、 「このままアメフトの方をやってたい」と言ってくれる子どもがいて素直に嬉しかった。 体験会では本当に楽しそうに身体を動かしてくれて、何事もなかったかのような笑顔、元気がそこにはあった。 周りの環境はあの日の前後で確実に変わっているはずなのに。 別れの時には「名前教えて」とか「もっと遊ぼう」と言ってもらえ、子供たちとは良い関係を築けた。もう一度あの子たちに会いに行きたい。と思う。 そして一日も早い復興がなされ、あの子たちが場所を選ぶことなく精一杯プレー出来る事を祈っています。 (#14多川哲史) 「ありがとう」「ご苦労様」 たった3日の作業の間にどれだけの人たちに言われただろう。 道を歩いている人も、家の中にいる人もほとんどいないのだけれど、会うたびに石巻の人たちは、声をかけてくれた。 いろいろ、本当にいろいろ失っただろうこの人たちに、何といって返してよいのか最後まで考えて、最後までよくわからなかった。 笑顔を投げかけてくれるその人たちに、笑顔を返す以上にできたことは、黙々と作業することくらいだった。 きれいなままで残っている家などないのだから、本当はすべてブルドーザーでいっぺんに撤去するほうが早いくらいの街並み。 私たちがした庭の泥かき作業は、“泥が流れてくる前に元あった状況を想像しながら、できるだけその‘元あったであろう状況’に近づける作業”で、 隣の家も、その隣の家も、その隣の隣の家もまだあって、そのうち私たちができた作業は本当にほんの少しのことだけれど、 「戻るのが恐かった」と変わり果てた自分の家に戻ってきて私たちに作業を頼んだ人たちが、 泥がなくなった庭を見て「ここに花を植えようと思うの。」と私たちに話してくれたくらいの希望を少しでも持てるように、と思い掘った。 暑くて真っ黒になるし、汗をかき1日作業した後体も髪も洗うことはできないし、薄いマットをひいた堅い床で寝る状態でも、 私たちは数日すればお風呂とベッドがある家に帰ることができる。 この数日で出会った人たちが、何万人といる被災された方々が、普通に戻れる場所ができるようにまだまだすることはたくさんある。 (大西 玲) |
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